憲法18条、苦役からの解放の自民党改悪案
このブログ開始当初から、自民党の新憲法草案において、とくに基本的人権を抑圧する目的で、条文が改変されていることを指摘してきた。
これまで、12条、13条において、国民の権利を制約するものに、公益や公の秩序という言葉で、現行憲法の「公共の福祉」という縛りよりも弱くし、行政の恣意的な決定で人権を制約できるようにしてきたということを説明してきた。
今日はさらに続けて、18条改悪の意図を追究してみたい。
まずは、条文比較である。(×印、赤文字が自民党新憲法草案)
第18条
何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。
×第18条(奴隷的拘束及び苦役からの自由)
① 何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。
② 何人も、犯罪による処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。
一読していただければわかるが、実は文言は全く変わっていない。現行条文が、「又」として並列で並べているものを、①、②の2つに分けているだけである。
しかし、この些細な変更が何を意味するのか?
まず、法文を読む際の基本的なルールとして、「第○条」となっている場合と、その下とされる、「項」に落されているという点が問題である。
確かに、法文において、条、項、その下の号に価値のうえで差はないと言える。だが、解釈上、やはり条、項、号には差があるのは事実である。
この改悪18条だけを取り出せば、条文改変による差はない。
しかし、ここに先の12条、13条改悪が絡んでくるのである。
12条、13条で、「条」でもって、基本的人権を「公益もしくは公の秩序」で制限できる、というのが自民党の新憲法案である。
ここで18条で、従来、「条」であった内容が、文言は変えずに「項」に落されている。
つまり、18条の「奴隷的拘束、苦役からの解放」という趣旨の法文のランクを落としているのである。そしてその上に、13条、14条改悪の網がかぶさってくる。
結果、18条は、大きく制限を受けることになる。
では、18条の「奴隷的拘束、苦役からの解放」の条文を、そこまで制限する目的がどこにあるのであろうか?
重要なのは、憲法学上、この18条は、日本国憲法で、徴兵制を禁止している条文であると解釈されていることである。 兵士になることが、そのまま「奴隷的拘束、苦役」であるかは、そうとは言えない。志願兵、職業軍人がいる。
しかし、「処罰を除いては、その意に反する」となっており、意に反しない兵役を強制する徴兵制を否定しているのである。
前にも書いたが、なぜ自民党新憲法草案で、ここが改変されているのだろうか?変えなくてよいならば、変えないはずである。変えようというからには、そこにはなんらかの意図がある。
上述のように、徴兵制を禁止している条文の力を二重に弱めているということは、自民党は、徴兵制もありうべし、と考えていることは間違いない。
この点は、現在農水相の、石破前防衛相が、在任中に、国会において、「自衛隊員の仕事を苦役というのははばかられるものがある」という発言を行い、兵役は苦役ではない、という意見を表明しており、またテレビ番組でのインタビューを見たものだが、もし自衛隊の海外派遣が恒久化し、戦死者が出た場合、自衛隊への志願者が減る可能性を指摘され、それに対して、「徴兵制も視野に入れなければならないだろう」と述べたことがある。
この流れを見れば、12、13条、そして18条改変の目的は第一義的には徴兵制に道を開くことにあると言える。
この議論は、過去、ネット上で別の場所で展開したことがあるが、ネット右翼、保守主義者、ミリタリーオタクたちの意見は、「高度な近代兵器を扱う現代戦で、徴兵制にする軍事的意味はない」というものである。
しかし、ここに2つの陥穽がある。
現代戦においては確かにその面はあるだろう。
しかし、現在のアメリカのイラク、アフガニスタン侵略・派兵・駐留において、その陸軍・海兵隊の兵員の多くは、一応志願兵ではあるが、3週間の訓練しか受けずに現地に投入されている。イラク国軍の組織的抵抗は、戦争の初期に終わっており、ピンポイント爆撃なども、その初期に終了している。その後の「汚い仕事」(掃討、拉致、監禁、拷問、捜索など)は、すべて、訓練3週間の兵たちによって行われているのである。
高度な兵器を操るプロは軍事上重要度を増しているだろう。しかし、依然、現場で汚い仕事をする歩兵というのは、低い訓練度で最前線で使い捨てにされるのである。つまり徴兵制は現代戦で全く無意味とは言えないのである。
さらに、徴兵制にはもう一つの意味がある。現代では女性も対象になると思われるが、平時においても徴兵をして、2年の兵役に服させることには、重要な意味がある。それは思想教育である。
あの、悪夢のような無能首相、あほ壺三が、就任当初、いきなり教育改革について、大学を9月入学制にして、高校卒業後の半年間は、自衛隊に「ボランティアで」参加させることを「義務付ける」と言いだしたことを思い出してほしい。
「義務付けられる」、「ボランティア」という、英語の意味がわかっていない、痴呆安倍の発言だが、その意図は、軍事力としての新兵獲得よりも、思想教育に重点があることは間違いない。
ネット右翼、保守主義者、ミリタリーオタクの方々は、上記の私の反論にこたえてはくれない。沈黙か罵倒が返ってくるだけだ。
長くなったので、今日はここまでとする。
覚えておいてほしいのは、憲法18条改悪は、まず、徴兵制に道を開くものであることである。
18条については、さらに、警察国家への可能性の問題があるので、それを、憲法ではなく、通常の法律のレベルまで踏み込んで書いていきたい。
これまで、12条、13条において、国民の権利を制約するものに、公益や公の秩序という言葉で、現行憲法の「公共の福祉」という縛りよりも弱くし、行政の恣意的な決定で人権を制約できるようにしてきたということを説明してきた。
今日はさらに続けて、18条改悪の意図を追究してみたい。
まずは、条文比較である。(×印、赤文字が自民党新憲法草案)
第18条
何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。
×第18条(奴隷的拘束及び苦役からの自由)
① 何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。
② 何人も、犯罪による処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。
一読していただければわかるが、実は文言は全く変わっていない。現行条文が、「又」として並列で並べているものを、①、②の2つに分けているだけである。
しかし、この些細な変更が何を意味するのか?
まず、法文を読む際の基本的なルールとして、「第○条」となっている場合と、その下とされる、「項」に落されているという点が問題である。
確かに、法文において、条、項、その下の号に価値のうえで差はないと言える。だが、解釈上、やはり条、項、号には差があるのは事実である。
この改悪18条だけを取り出せば、条文改変による差はない。
しかし、ここに先の12条、13条改悪が絡んでくるのである。
12条、13条で、「条」でもって、基本的人権を「公益もしくは公の秩序」で制限できる、というのが自民党の新憲法案である。
ここで18条で、従来、「条」であった内容が、文言は変えずに「項」に落されている。
つまり、18条の「奴隷的拘束、苦役からの解放」という趣旨の法文のランクを落としているのである。そしてその上に、13条、14条改悪の網がかぶさってくる。
結果、18条は、大きく制限を受けることになる。
では、18条の「奴隷的拘束、苦役からの解放」の条文を、そこまで制限する目的がどこにあるのであろうか?
重要なのは、憲法学上、この18条は、日本国憲法で、徴兵制を禁止している条文であると解釈されていることである。 兵士になることが、そのまま「奴隷的拘束、苦役」であるかは、そうとは言えない。志願兵、職業軍人がいる。
しかし、「処罰を除いては、その意に反する」となっており、意に反しない兵役を強制する徴兵制を否定しているのである。
前にも書いたが、なぜ自民党新憲法草案で、ここが改変されているのだろうか?変えなくてよいならば、変えないはずである。変えようというからには、そこにはなんらかの意図がある。
上述のように、徴兵制を禁止している条文の力を二重に弱めているということは、自民党は、徴兵制もありうべし、と考えていることは間違いない。
この点は、現在農水相の、石破前防衛相が、在任中に、国会において、「自衛隊員の仕事を苦役というのははばかられるものがある」という発言を行い、兵役は苦役ではない、という意見を表明しており、またテレビ番組でのインタビューを見たものだが、もし自衛隊の海外派遣が恒久化し、戦死者が出た場合、自衛隊への志願者が減る可能性を指摘され、それに対して、「徴兵制も視野に入れなければならないだろう」と述べたことがある。
この流れを見れば、12、13条、そして18条改変の目的は第一義的には徴兵制に道を開くことにあると言える。
この議論は、過去、ネット上で別の場所で展開したことがあるが、ネット右翼、保守主義者、ミリタリーオタクたちの意見は、「高度な近代兵器を扱う現代戦で、徴兵制にする軍事的意味はない」というものである。
しかし、ここに2つの陥穽がある。
現代戦においては確かにその面はあるだろう。
しかし、現在のアメリカのイラク、アフガニスタン侵略・派兵・駐留において、その陸軍・海兵隊の兵員の多くは、一応志願兵ではあるが、3週間の訓練しか受けずに現地に投入されている。イラク国軍の組織的抵抗は、戦争の初期に終わっており、ピンポイント爆撃なども、その初期に終了している。その後の「汚い仕事」(掃討、拉致、監禁、拷問、捜索など)は、すべて、訓練3週間の兵たちによって行われているのである。
高度な兵器を操るプロは軍事上重要度を増しているだろう。しかし、依然、現場で汚い仕事をする歩兵というのは、低い訓練度で最前線で使い捨てにされるのである。つまり徴兵制は現代戦で全く無意味とは言えないのである。
さらに、徴兵制にはもう一つの意味がある。現代では女性も対象になると思われるが、平時においても徴兵をして、2年の兵役に服させることには、重要な意味がある。それは思想教育である。
あの、悪夢のような無能首相、あほ壺三が、就任当初、いきなり教育改革について、大学を9月入学制にして、高校卒業後の半年間は、自衛隊に「ボランティアで」参加させることを「義務付ける」と言いだしたことを思い出してほしい。
「義務付けられる」、「ボランティア」という、英語の意味がわかっていない、痴呆安倍の発言だが、その意図は、軍事力としての新兵獲得よりも、思想教育に重点があることは間違いない。
ネット右翼、保守主義者、ミリタリーオタクの方々は、上記の私の反論にこたえてはくれない。沈黙か罵倒が返ってくるだけだ。
長くなったので、今日はここまでとする。
覚えておいてほしいのは、憲法18条改悪は、まず、徴兵制に道を開くものであることである。
18条については、さらに、警察国家への可能性の問題があるので、それを、憲法ではなく、通常の法律のレベルまで踏み込んで書いていきたい。
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おしつけ憲法論
改憲派の中でも下火になったが、いまだに現憲法は押っつけられたものという主張をしている人がすくなくない。この論理は全く成り立たないことに気づいていない。まず言っ